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烏賀陽弘道『「朝日」ともあろうものが。』

「朝日」ともあろうものが。 (河出文庫)

「朝日」ともあろうものが。 (河出文庫)

 朝日新聞社に17年間勤めた元社員による内部暴露話。ただ「朝日の偏った論調はこうして作られる」とかそういう話ではない。というのも筆者が新聞記者であったのはそれほど長くなく、雑誌編集者としてその大半を過ごしてきたから新聞の論説委員とは仕事をしていないから。論説委員は出てきますが、それはハイヤーを私用で使って高級フランス料理を食べていたという話ぐらいだったり。

 読んでいるうちに「前例がないからボツ」とか「夕刊を読んでいる人は少なくなっているのだから廃止したらどうか」と研修で提案したら「そんな事をしたら会社がどうなると思ってるの」と激怒されるとか*1あって唖然としたのですが、もっともすごいのは「新聞記者時代には読者がどんな記事を読みたがっているのか考えたことが一度もなかったし、上司も先輩もそんなことはまったく教えなかった。職場で話題にすらならなかった」というところ。おそらく新聞は取る物だという時代だったからそんな事を考えなくてもよかったのだろうけど、今の時代でそんな考えを持っているとしたら呆れてものが言えない。

 それにしても朝日では政治部・経済部・社会部の記者が偉いことになっているそうですが、記者クラブにいれば記事が書けてしまう彼らが何で偉いのかさっぱり分からない。そもそもそれは記者といえるのだろうか。私が思う記者とは「自分の足でニュースを探す人」だと思っていたのですが、どうも記者とは記者クラブで1日中企業や官公庁が持ってきたニュースを記事にする人のようで。あと、よくテレビで出てくる政治部出身のコメンテーターは実はすごくないのではと思ってきた。自民党一極支配のときに有力者のところに毎日行って顔を覚えてもらって信用を得てから閣僚名簿を見せてもらう、って頭使ってないだろ。それは体力と根性と運があれば誰でも出来るよ!

 ただ、筆者も書いているけどこれは朝日だけに限ったことではないのだろうなぁ。新聞社は多少の違いはあれど似たようなものだろうし、おそらく記者クラブに入っているところはこんな感じなのかもしれない。そう考えるとマスコミ終わっているのかもしれない。

 あと筆者がアメリカのジャーナリスト、デビッド・ハルバースタムにインタビューしたときに「ジャーナリストの重要な使命は「今、何が問題なのか」「何を議論すべきなのか」「何を知るべきなのか」というテーマを見つけて社会に提示することだ」という指摘をされてショックを受けたと書いているのですが、このジャーナリストの使命は書店員にも通じるものだなと思いました。

*1:もっとも私は文化欄で変な特集とかあったりするので夕刊は読んでましたが