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NODA・MAP『ザ・キャラクター』

演劇

 公式サイト

 13日にNODA・MAP『ザ・キャラクター』を観ました。

 NODA・MAPの舞台はこれが4回目ですが、過去に観たのは『贋作・桜の森の満開の下』、『透明人間の蒸気』、『キル』と夢の遊眠社時代だったり、NODA・MAP初期の作品だったりしたので、完全新作を観るのはこれが初めて。今までの作品とずいぶん違うなぁ、と感じました。舞台が現実的になり、メッセージがかなり明確(これはこの作品だけかもしれませんが)。

 以下ネタばれ、と、個人的な感想。


 パンフレット冒頭で作・演出の野田秀樹が『世界に通用しないものを創る』というエッセイを書いているのですが、確かに海外の人には題材やセリフの面白さが伝わりにくいです。

 まず冒頭、町の書道教室が舞台。そこでは「漢字を腑分けすると、それがそういう意味かが分かる」と続けて「『人の言うこと』と書いて『信』と書く」みたいなことを言っているわけです。これは漢字を知らないと分からないでしょう。さらに言葉遊びも豊富で、「わし」は「和紙」に、「紙」は「神」に、書道教室の「大家」(おおや)は「大家」(たいか)に、といった具合ですから、これは日本語を知らないと厳しいと思いました。

 さらに題材ですが、オウム真理教事件です。この書道教室はギリシア神話を写経する「ギリ写経」ということをやっているのですが(もうこの時点でカルトみたいなんですが)、これがどんどん先鋭化していくという話で、ラストはあの事件で終わります。この戯曲の主人公はこの書道教室に潜入したジャーナリストの姉なのですが、彼女が知る真相もかなり苦いです。観終わったあと、この小説を思い起こしました。「何かのふりをしているうちに、その何かそのものになってしまう」という話です(もっとも読んだのは数年前なので、筋とか結構うろ覚えなんですが)。

母なる夜 (ハヤカワ文庫SF)

母なる夜 (ハヤカワ文庫SF)

 役者で印象に残ったのは大家役の橋爪功で、どこにでもいそうな感じがすごく怖かった。この書道教室の会計が金庫を持って逃げる場面があり、大家は会計を見つけるのですが、最初は会計の話に同調するんですね。「この書道教室はおかしい」とかそういう話に。ところが家元の妻がやってくると急に態度を豹変させて家元側につくという、その自分にも当てはまりそうなところがすごく自然で、だからこそ印象に残ったのかもしれません。あと家元役の古田新太は実にうさんくさく、宮沢りえは最初分かりませんでした。声が記憶にあるのと違っていた。

 さて劇の後半で家元が「半紙を持って、スクール水着秋葉原を行進しろ」という場面があります。えーと、舞台上でそんな事はやらなかったのですが(さすがに野田秀樹スクール水着姿とか見たくない)、パンフレットでも「再び日本の文化を発信しよう、ということを誰かが叫んだら、それが『日本のアニメ』に代表されるものみたいになってしまった。すなわち、文化的にシンプルに翻訳できるものになってしまった」と書いてあるせいか、オタクというものに批判的でそれについては「ちょっと待ってくれよ」という気もしないでもないです。ただ、題材となったオウムがアニメなどのサブカルチャーと親和性が高い部分があっただけに仕方がないのかなと思います。むしろ、自分が好きな世界にどっぷりと漬かって外の世界を知ろうとしないか、敵視する姿勢に対して批判的なのかな、とオタクの私は思うわけです。自己弁護が入っているかもしれないな、これ。

 で、終わった後に疑問だったのが「なんで、まだ、オウムなの」という事だったのです。それは終了後に書いたアンケートにも書いたのですが、時間をおいて考えてみると、オウムをもう終わったものとして「現代には現代の問題もあるでしょ。そっちを題材にしなさいよ」と考えてしまうのが、自分の幼さなのかもしれないと思い直しました。過去に立ち止まって考えないで、今だけを見つめ、それについての答えを求めるような姿勢はすごく子供なんじゃないか、と思うわけです。過去を深く考えるというのは、すごく難しいことだと思いますが……。

 以下余談。

 開演前にかかっていたのは確かこれでした。

 The Velvet Undergroundですね。これにもたぶん意味があると思うのですが、よく分からないなぁ。そもそもこれじゃない可能性もある(なんだそれ)。