『けいおん!!』批判について

 一体、人々は、「空想」という文字を、「現実」に対立させて考えるのが間違いの元である。(坂口安吾「FARCEに就いて」)

 『けいおん!!』のについて。書くか書かないか考えたが、なんかあまり指摘されていない事があるみたいなので書こう。あ、内容云々については書きませんので、bonzoku氏のを見てください

 『けいおん!!』とは何か(!1つでもいいけど)。それはかきふらい氏の連載(されていた)コミック、ならびにそれを原作とするアニメのことである。つまり原作があって、その上にアニメがあるのだから京アニを批判したところで意味はあまりないと思う。京アニは「オタクの楽園願望」批判のスケープゴートにされたんだよ……。かわいそ。

 つまり批判は原作に対してなされるべきでないの、と思う。もちろん原作は大学が別だったのに、アニメでは一緒にされていたなら批判としてまだ意味があると思うが、おそらくそうはなっていないだろう(と推測で書くのも読んでないからです。読むのは来週)。だとしたら京アニは求められる仕事をしただけであって、そこに批判される意味合いはないはずなのだ。原作どおりにしたら批判されるっていうのもどうなんだか。ブームになるって悲惨ですね。

 批判に対する反論としてはあまりにもアレだが、実は『けいおん!!』批判で書きたいことはこれくらいしかない。私も「青春=離別」という考えには共感するし(以前twitterで書いたが、安達哲なら『さくらの唄』より離別することが提示されている『キラキラ!』の方が好みなのだ)、全員が同じ大学に行くことに違和感がないといえば嘘になる。でも氏の意見には共感できないし、胸がクサクサする。

 それはつまるところ「現実から逃げる為のけいおん!けいおん!は「日本病」患者のモルヒネだ」なんて書かれているからである。「現実から逃げる」ですか。そもそも何で現実から「逃げる」事がいけないのか。いや、そもそも「現実」から逃げることなんてできるのか。アニメを見る事だって立派に「現実」だ(だから私は「リア充」という言葉が嫌いである。アニメを見ている自分は「リア充」でないというなら、その人にとってアニメは何よと思ってしまうのだ)。

 私はこの方の言う「現実」が何なのかよく分からない。確かに検察が証拠を改ざんしたり、中国の尖閣諸島問題などがあり、消えた年金やら高齢者やら国の借金の問題があります。でもそのようなマクロの問題がある一方で、友達と離れたくないとか人間関係がうまく築けないとか「先輩が卒業して取り残されて淋しい」というミクロな問題だって現実ではないのか。そもそも世の中には現実の問題を考えた末に「この世界を動かしているのはユダヤ300人委員会フリーメイソンで、世界の財産を握っているのはロスチャイルドで彼らは人類家畜化計画を進めようとしているのだ」と言っているジャーナリストがいるのである。これは典型的な陰謀論だとは思うが、これを現実のものと思っている人だっている。現実は一様ではない(あー、なんか古くさい事を言ってるわ)。

 『けいおん!!』を見ている人だって日々生きていく中で現実と戦っているのだ。離別が描かれないから何だというのか。描かれようと描かれなくても、現実に生きる私たちは就職活動や社会人になることで自然とハローもグッバイもサンキューも言わないまま離れていく。それに「『けいおん!!』も見たし、明日も頑張るか」という人だっていると思うのだが、そういう人がいるという想像力がないのはおかしくないか。

 それに『けいおん!!』がそんな人口に膾炙している作品なのか、という疑問がある。それこそ『ガラパゴス化する萌えアニメ』でやったみたいに、どれだけの人が『けいおん!!』を見ているのかデータで出してほしいくらいなのだが、少なくとも私の周りで『けいおん!!』を見ている人はそんなに多くない。アニメ市場が10万人、アニメ関係のグッズを買わない人もいるから実際にはそれより視聴者は多いかもしれない。でも日本国民の半分以上が見ているとは思えないし、それに共感できない人だっているだろうし、そもそもブームになろうと見ない人は見ないのだ。私が中学・高校生のとき『エヴァ』がブームだったが、全ての中高生が『エヴァ』を見ているわけではない。そもそも私が見ていない(ついでに言うと思い入れもない)。だから『けいおん!!』が原因で日本が衰亡するとも思えない。正直「現実と戦うために」アニメを見るくらいなら、その時間でお金儲けをして貯蓄に励んだり金を買った方がよほど現実と戦える。まぁそんな人生は味気ないと思うが。

 それにしても「僕はポニョをdisった時も、らき☆すたの土師祭をdisった時も、散々ブログ等に死ね、殺す、訴える、と言われたが全部黙殺した。NHKに出た時もサヨクから「右翼のクズ」「消えろ」と言われた。他人から攻撃を受けるから言論を辞めるというのは日本人の悪しき風習だ。よって今回も辞めない。」かぁ。自分は正しいと思っているんだろうなぁ。そうでないと黙殺なんて言葉は出て来ないだろうし(もちろん批判の質にも拠るが、全ての批判が「死ね」とか「殺す」ではなく、建設的なものだってあるだろう)。これについては以下の言葉を(迷惑だろうが)贈る事にする。

 私たちは知性を検証する場合に、ふつう「自己批判能力」を基準にする。自分の無知、偏見、イデオロギー性、邪悪さ、そういったものを勘定に入れてものを考えることができるかどうかを物差しにして、私たちは他人の知性を計量する。自分の博識、公正無私、正義を無謬の前提にしてものを考える者のことを、私たちは「バカ」と呼んでいいことになっている。(内田樹『ためらいの倫理学』P.42)

 あともう一つ。なんだかあたかも「萌えオタは保守本流氏が評価するアニメを見ない」様な書き方をしているが、実際はそんな単純ではないということを指摘しておく。そのことはWebを見れば分かる。私が『マイマイ新子と千年の魔法』を知ったのも、たまごまごはんを見たからだ。そしてたまごまご氏は『けいおん!!』の熱心なファンである。それも「現実」であり、そこから逃避してはいけないはずだ。