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サプリとしてのアニメ、もしくは全てのアニメはサプリである

アニメ 雑談

 『アニメスタイル 6号』を買いました。

月刊アニメスタイル 第6号 (ねんどろいどぷちめんま付属)

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 さて今号はノイタミナ特集で、その中で山本幸二ノイタミナ編集長のインタビューに首を傾げるところがあったのでそれについて書きます。ちなみに小黒とはアニメスタイル編集長の小黒祐一郎氏。ページは104P。

ノイタミナはオサレアニメかという話の後で)
山本 映像の方向性として『モノノ怪』みたいにちょっとアート寄りにいくか、ちょっとフワッとできる方向にいくか、その違いですよね。成分としては『けいおん!』や『WORKING!!』とも似てると思うんですよ。いわゆるサプリ系というか。
小黒 サプリ系?
山本 アニメを観ることによって、視聴者がサプリを補給している感じになるような作品。普段の生活では補いきれない、何かの代わりに。
(中略)
小黒 この喩え、読者に伝わるのかなあ(笑)。つまり友情とか、恋愛とか、都合のいいハーレム感とか、仲間同士のキャッキャ感というものが『心のサプリ』なんですよね
山本 うん。中には、観る人の価値観を揺さぶる作品だったり、人生とか世界について問いかけるような作品もありますけどね。『攻殻(機動隊S.A.C)』とかはそうですし。でも、僕が考えるに、アニメは圧倒的にサプリ効果が高いんですよ。

 ここを読んで考えてしまった。で、そのあとの山本氏の発言では

だけど、僕自身としてはドラマで勝負したいというか、ヒリヒリさせたいという気持ちがある。だから社会派ものや青春ものが多くなるのかもですけど

と続くのですが、では例えば『けいおん!』がサプリ系(というカテゴリも意味不明だが)で青春ものではないのか、と考えると、それは乱暴すぎるのではないかという風に思ってしまうのです。

 『けいおん!』ってドラマチックな展開だったり大きな事件もないから「ヒリヒリしない」と思われてるのかもしれないのですが、あれは表面上そう見えるだけで本当は違うんじゃないのかという気がするのです。個人的には『けいおん!!』番外編の「訪問!」で、さわちゃんのお見舞いから戻って部室に入ろうとしたら梓たちが練習していたので、部室に入らないで立ち去るシーンに終わりを感じてしまったのです。私は『けいおん!』に高校時代よりも大学時代を投影していたのですけど、自分たちが卒業することで今まで使っていた空間から心理的に追い出されてしまう、というのは自分の大学時代と重なるものがあって、そのシーンで「すみません、私が間違ってました」という気持ちになったのです。

 でも『けいおん!』云々はどうでもいいのだ。正直言って、作品のテーマが社会派であることや、その作品が深く考えさせるものであっても「心のサプリ」になるんじゃないのか、と思うのです。友情とか、恋愛とか、都合のいいハーレム感とか、仲間同士のキャッキャ感というものとは関係ないところで。

 例えばある作品を観ることで「私はあんなアニメを観てる奴とは違うのだ。自分には見る目があるのだ」とか「自分はこの作品を観ることで社会について深く考えているのだ。遊んでいるそこらのリア充とは違うのだ」と自意識の底上げというか、この作品を観ている私は違いの分かる人間なのだ、と普段の生活で補いきれない自己満足や肯定感を得ているかもしれない。そんなに違いの分かる人になりたければネスカフェゴールドブレンドでも飲んでればいいだろと思うのだが、それはともかく、テーマや社会性の有無にかかわらず作品が「心のサプリ」化することはあると思うのです。*1これははっきり言って作品ではなく視聴者の問題でしかないと思う。でも当たり前の話だが、作品を好きであることとその人に「見る目」があるかは全くの別問題。

 これはさすがに極端な話だろうけど、ノイタミナ自体が「ノイタミナを観てる私、やろうとしていることを理解している私はTBSのアニメを観てる萌えオタとは違う」という満足感を与えてくれる「サプリ枠」になっちゃってるんじゃないの、とも思ってしまう。でも、そうやって差別化することで枠自体へのファンを増やすのはブランド戦略としては間違っていないのでしょう。ただ発言があまりに安易過ぎるんじゃないかとは思うけど。

*1:そういうことはアニメに限らず文化全般に起こることだと思います