たかがアニメ(アニメでなくてもいいけど)

社会人になって「忙しくてアニメ見る暇なくなった」って言ってる人は始めから言い訳を探していただけでしょう - 隠れてていいよ

読みましたが、なんか真面目だなぁと思いました。

そもそもすごく好きだったもの(趣味)から完全に離れることはできるのかと思うのです。離れるのだって相当エネルギーを使うんじゃないかね。

生活習慣が変わって自然と離れて行ったり、加齢とともに価値観が変化して以前は好きだったものがそうではなくなるというのはあります。ただ生活習慣が変わって離れるということは、それが変わればまた近づくことだってあるわけです。私の母は中学時代から熱心な宝塚ファンでしたが、子供が生まれてそうは劇場に行けなくなっていました。でも子育てが一段落したら劇場に通い始めましたから、そんな深刻に考えなくていいのではと思ってしまうのです。加齢による価値観の変化だって、年を取ったらどうなるか分からないから、この手のことを深刻に考えなくてもと思うのです。


だって、たかが趣味じゃないか。


そう、アニメも映画も読書も音楽も芝居も、まぁつまるところ娯楽なんてものは「たかが趣味」でしかないんですよ。例えば「クールに放送されているアニメ20本以上見てないやつはアニオタとは言えない」と言っている人がいるとしましょう。その人が3日間何も食べてない時にアニメと食糧のどちらをとるかと考えたら後者だと思うんですよ。食べ物がないと最悪死にますが、アニメがなくなってもそれで食っている人以外は困らないでしょう。だから娯楽なんてものは大半の人にとって「なくてもなくてもいいもの」でしかないと思います。

あと趣味はどこまで行っても個人的なものだと思うので、そんな趣味の領域で劣等感を感じるようだったら、言っちゃ悪いが無趣味な人間になった方が幸せになれると思います。「他人は他人、自分は自分」であって自分が楽しめているなら他人がどうであろうと関係ないと思うんだけど。

とこんなことを書くと「いや、好きだからこそ本数を見られないのがつらいんだ。接し続けられないのがつらいんだ」と言われそうですが、正直言って「たくさん見てないといけない接し続けないといけない」接し方は貧しいんじゃないかね。

学生時代ならともかく、もう気力・時間・体力はないのだったら無いなりにどう接するかを考えて自分の世界に引きこもる方がよっぽど充実できると思うんだけど。


えーと、個人的に思ったことをまとめると「たかが娯楽趣味にこんなマジになっちゃってどうするの」で終わってしまうのでした。もっと簡潔に言ってしまうと「悩むだけ無駄」。






でも「たかが娯楽趣味」に心を揺さぶられて我を忘れてしまったりするから人生楽しいのだけれど。