とある人のtwitterの発言に刺激されて書いたのですが、最初はmixiに挙げるつもりが書いていくうちにわけが分からなくなったのでこちらに投げる。

 最近つくづく管理職向いてないなぁ、と思ってまして、なんでそう思うのかというと「1:全体を把握するのが苦手 2:人に指示を与えるのが苦手 3:そもそも人を従えてうまくいった例が無い(つまり言うことを聞かないわけです)」と分析。特に3が最たるもので、過去の経験を振り返っても従わせようとして上手くいったことがなく、そもそも身内(兄の立場を使えない、というのはすごくきついですよ。いろんな意味で)ですら失敗しているのに赤の他人で上手くいくわけが無い、と思うのです。「思うのです」というか、過去の色々な例を振り返ってそうとしか「思えなくなった」というのが正確か。いちいち具体例は挙げませんし、挙げたくもない。もちろん世の中には「過去がどうだろうと今、最善のことをするし努力する」という信条を持っている人もいて、そういう人は失敗してもそこから成長するのでしょうけど、失敗すると「あぁ昔もダメだったし今もやはりダメだ」と思ってさらに悪い方向に行ってしまう人もいる、というかこれを書いている人がそういう人間だよ。

 で、後者に「それではダメだ。もっと自信を持ってやらないと」と言って効果があるのか、と考えるとすごく疑問で、「自分を信じると書いて自信というのだ」と言ったのは私が通っていた高校の世界史教師だったはずですが、そもそも自分を信じてないのにどうやって自信を持てばいいのか、と思うわけです。この時点ですごく負け犬的思考だなぁと我ながら思うのですが、自信を持って仕事できない人間に誰が従うんだ、という指摘はごもっともではありますが、それは「じゃあ自信を持つにはどうすればいいんだ」という疑問になってしまうわけですが、そういう本によると幼児期に決まるらしいです。じゃあ幼児期にそれが上手くいかなかったらダメではないか。

 そういえば半年に1度目標シートというものを書かせて、期間が終わると自己評価をさせるのですが、ここ1、2年は必ず書き直しをさせられるのです。その理由が「自己評価が低すぎる」というもので、つまり普通に書かせるとマイナス評価しか自分では出来ないわけです。これは「仕事を熱心にしてないからだ」と言われればその通りなのでしょうが、自分の仕事を信じられない人が熱心に出来るのか、と「自信」の問題が出てきてしまうわけで。

 過去を変えることは不可能だし、どうしてもそこに固執してしまう人間にとって、どうすれば自信を持つことが出来るのだろう。自己啓発のセミナーに行けばいいのか、戸塚ヨットスクールに行けばいいのか、まぁそんなところに行く気は全く無いのでそれ以外でどうするか。北方謙三なら「ソープに行け」と言うのかね。

 「自分を信じると書いて自信というのだ」とさっき書きましたが、信じるとはどういうことか、どうすれば信じられるのか。曲がりなりにも9年間キリスト教の学校に行ったにもかかわらずさっぱり分からないなぁ。信じるには「そこに信じるに値するものがある」と思えることが必要で、たぶん「自分を信じること」と「誰かを信じること」は同じことだと思う。「神様」はどうだろう、「神様」を信じることで「それを信じる自分を信じる」という「ツール」というか「媒介」のようなものではないか、と。何かを信じることで救われるのだろうか、と考えることはあるけど答えは見つからない。