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『サマーウォーズ』

映画

 長いので以下は続きを読むで。


 『サマーウォーズ』を2日の夜に観て、ようやく落ち着いたので感想。

 「男の子映画」でした。『時をかける少女』が真琴の魅力で持っていくアニメという印象なのに対し、『サマーウォーズ』は健二やカズマ、侘助たち男性陣が魅力的でした。健二、カズマはともかく侘助は「男の子」ではないだろと言われるかもしれません。でも自分が作ったAIが評価されて米軍にリクルートされるかもしれないと栄ばあちゃんに言ったら、人様に迷惑をかけるものを作ったことで怒られ家を飛び出す侘助は「男の子」ではないかなぁ、と思うのです。

 で、ばあちゃんの遺言とかキングカズマとか涙腺が緩むところは多々あったのですが、いちばんぐっと来たのはアバターを賭けたAIとの花札勝負でピンチになったところで、まったく知らない人(という書き方でいいのだろうか)が「僕のアバターを使ってください」と言ってきて、世界中の人が力を貸すところでした。まったく知らない人が困っている人のためを助けるというシチュエーションに弱いだけかもしれませんが。

 ここで「『つながり』こそがボクらの武器」というコピーが、家族という空間を指すのではなく、ネット空間でのつながりを指すものだと気づくわけです。私はつながりと聞いて「家族の絆」を想像していたのですが、家族と言っても「擬似家族」だなぁ、と。ここでのつながりは『家族計画』みたいだ、と後になって思いましたが。『家族計画』での擬似家族が「『高屋敷家』という空間を共にすること」に拠るのだとすれば、『サマーウォーズ』では「OZという仮想空間を共にすること」に拠るものだという感じで。

 さて予告編で健二が「よろしくお願いしまーす」と叫ぶシーンはどこだ、と思ったら花札勝負の後でした。てっきり花札勝負のところだと思っていたので意外。

 ところで、この映画は特別な人たちの映画なのか。確かに健二、侘助、カズマも一芸に秀でているし、あんな大家族がいて国のトップとつながれるばあちゃんだって身近にいる人のほうがレア、というか普通はいないでしょう。

 でも自分は健二たちが「特別」とは思いませんでした。それは、健二は自分の数学の才能に自信が持てないし、カズマも敗北を喫するし、侘助はほめられると思ったら真逆なことをされてすねるし(これは自業自得かもしれないが)、どこかに弱い部分がある。そもそも風呂に入った時に「先輩が入った風呂」と言う高校生を特別と見られようか。

 そして最後の最後、あきらめかけた健二を奮い立たせたのは、特にそうした技能を持ってない翔太や万作の「これは君にしか出来ないことなんだろ」という言葉です。これはすごく大事なことで、人を奮い立たせるのはその人の才能でも世界の危機でもなく、「私はあなたの事を信じている」というメッセージを送ることではないのかと思うのです。それを夏希が言ったら「大家族いらなくね」という事になってしまいますが、翔太が最初に言うことで届くものになっていると思うのです。

 甘い話と言えばそうかもしれません。でも私はこういう話が大好きです。